講師の私はこんな人😊
生まれも育ちも札幌。思春期は複雑な家庭環境で育ちました。
16歳で娘を出産、19歳で離婚。
昼職の面接は全て落ちました。2歳の子供がいる19歳ってだけで電話で断られたり、保育園に見学に行っても無職だと入園できない。職探しすれば子供の預け先は?保育園が決まってないなら無理だと。世間はなんて冷たいんだと思い知らされました。(家族もそれぞれが生きることに必死で全てを頼る事が無理だったのです)
娘を守れるのは私だけ、嫌だとか恐いとか言ってられなく、夜の世界ススキノへ。
飲めないお酒を飲んで毎日吐いてました。でも負けませんでした(今振り返るとめちゃくちゃ黄色い戦士)。
夜の託児所に預けるとき、泣き叫ぶ娘の声を聞きながら私も泣いて出勤してた。夜中の2、3時に迎えに行くと娘は覚醒してしばらく遊んで私は白眼で朝方2人で寝る。そんな必死な20代。子供が子供を産んだ。若い親だから。水商売の片親。そんな事を言われたくなくてめちゃくちゃ厳しく感情的に自分のエゴや価値観を押し付けて子育てしてしまっていた...
今では心から反省。だからマヤに出会ったのかな?とも思っています。
ススキノでの13年間
私がススキノで働いたお店は高級クラブでかっこいい姉さん達がたくさんいました。みんなプライドを持って働いていて私の言葉使い、髪の毛の色、スカートの丈、ネイル、メイク、食べ方、所作全てを治してくれた。当時19歳なんでね!
客層が会長、社長なので新聞も読んだし色んな勉強や姉さん達のおすすめの本を読んだりもしました。とっっってもこわかったし厳しかったけど、今では当時の姉さんやお客様には感謝しかありません。ただお酒飲んで色恋なんてとんでもない!そんな簡単な世界ではないのです!
そんなお店に13年間お世話になり、娘にも押されて再婚で岐阜へ。
マヤとの運命的な出会い
主婦は3ヶ月で飽きてそんなときに出会ったのが地元広報誌の「マヤお茶会」って言葉でした。友達も誰1人いなかった私はなにか行動したかった(黄色い戦士っぽいよね)。それがKIN95の日だったの(260日あるマヤの暦で唯一の絶対拡張KIN、極性KINが合わさる日)。
マヤに触れてマヤはすごいなーなんとなーくやることもないし学ぶかあ。そんな動機でした。
すると!!!家族、娘のこと、周囲の人間関係、今までの人生の流れ、全てが!!!ほんとに全てが!!!
マヤで紐解くとナニコレ?え?台本なの???
全ては宇宙のリズムで知らない間に生きていたのです。生かされていたのです。
感謝が溢れ、目にみえない存在やエネルギーに守られてると実感しました。神様やおばけは元から信じていたけど更にマヤ暦やばーーー!!!
魂の使命への気づき
自分の生まれて来た意味、使命、ミッションを知ると、なぜ私は16歳で出産を選んだのか、KIN73の娘が私のところに来てくれたのか。私がなぜ、KIN75の母を選んで生まれて来たのか。全てを紐解くと魂が震えました。
マヤが大好きになり、周囲の人に勝手に伝えていたら、いつのまにかお志事になっていたのです。
私はKIN156 / 黄色い戦士 / 黄色い種 / 音13
自分が開花するから人の開花のお手伝いができる。
生涯現役の失敗を恐れないチャレンジャー
私はマヤで自分を知り本質を知る事で、より自分の選んだ道に確信がもて強くなることができました。
たくさんの人にマヤを伝えて本質で生きることの大切さ、目の前に起きたことはなぜなのか?どうして出会えたのか?
知ってるのと知らないのでは全く違います。人生の豊かさとは氣づきの数。
マヤを通して私は伝えていきます。生きる暦も選択する時代です!過去の自分が選択してきたことがいまのわたしたちを造っている。